DGRでドラフトしていると2色以上を使う事に対する罪悪感ってないかな?
個人的にはそれがかなり強いんだが。
理想とするべきはきちんとしたギルドカラーで、デッキはそのテーマに即したものであるべきだ、と言う感覚が。
もしかすると俺固有の感覚なのかも知れないが、この感覚の根拠になりそうなものを挙げていこう。
2色でも事故る時は事故る。
当然だが2色でも事故は起こる。
40枚のデッキに赤マナの発生源を9枚入れた時、初手に赤マナ発生源が含まれる確率は85%程度だ。
RTRではアゾリウスで《凍結燃焼の奇魔/Frostburn Weird(RTR)》と《太陽塔のグリフィン/Sunspire Griffin(RTR)》を両立させる時、それが特に顕著だった。
それに対して3色ないしそれ以上の多色が平然と呪文をプレイする様は直感的に不公平に感じる。
なので罪悪感の元になる。
もっとも2色でデッキを組む場合、採用されるカードから速度重視もデッキになりやすい。
速度が速いデッキの場合、序盤の展開速度や、中盤からのマナの引きすぎは多色コントロールの場合と比較して勝敗に直結しやすい。
だから展開をパターンわけして考えた時に、事故った感が強いパターンが多くなる、と言う事はありそうだ。
多色デッキは紙束感が強い
最近のリミテッドは特定のテーマをデッキの中心に据えたものが構築される場合が多い。
例えば単に緑黒ビートではなくて「緑黒感染」であったり、白緑ビートではなくて「白緑人間」であったりするわけだ。
RTR以降はギルドそれぞれのキーワード能力によってデッキの性格が異なる印象が強い。
例えば、それが強いかどうかは別として、単にセレズニアカラーのビートを組むよりは、そのデッキに「居住」とそれに関するカードが採用されていた方がより「デッキらしく」見える。
それに対して多色コントロールは特にテーマらしきものがない場合が多い。
それらのほとんどは、マナ基盤を整え、適当に除去して、レアで勝つ。
言い換えれば「カードの束」が「デッキ」に勝つ事になり、これは許容し難い。
だから罪悪感につながる事になる。
またRTR時の多色化は環境にそれなりに存在したダブルシンボルの強コモンによって存在する意義が薄く、GTC時には除去コントロールと言うコンセプトが《肉貪り/Devour Flesh(GTC)》を中心にするタイプのディミーアの役割であり、両者が激突するとディミーアが勝つ事が多かったため、これまた良い選択肢ではなかった。
この事が多色化に伴う罪悪感を助長している可能性はある。
協調していないように見える
実際に最初から5色ピックし、最後まで5色ピックする場合にはほとんど協調とは縁が無い様に思える。
5色ピックがコントロール方向に寄る可能性が高いため、結果として下家に軽めの攻撃的なカードがまわりやすいと言うくらいだ。
ドラフトはカードを使ったコミュニケーションゲームである、と言う解釈の元に自分の周囲とは協調するべきであると言う考えは根強い。
そもそも人間には返報性と言う習性があり、自己に利益をもたらす行為には相手の利益で、自己の不利益には相手の不利益で返そうとする。
真にデッキに必要か否かに関わらず、上家の意向に従わず、下家の色のカードは掠め取る。
これらが周囲の不利益につながる事は直感的に明らかで、だから罪悪感を生じる事になる。
以上の3点が主な俺の罪悪感の発生源だ。
ただ、これら3点も受け取り方次第。
相手が事故ろうが、事故るまいが自分の所為ではないし、マルチカラーのカードが多く、2色であっても序盤につまづく可能性が高い環境なら、そう言うデッキを選ばない=マナ供給源の枚数にゆとりのあるコントロールを志向すると言う考えはあるだろう。
特にDGMの《導き石/Cluestone(DGM)》は、自分のデッキ速度が緩やかなものであれば入れ得だと思っている。
これも多色コントロールデッキにとっては追い風だ。
「デッキの紙束化」もRTR×3環境やGTC×3環境と比較するとそれが進むのはしょうがない事なのだ。
なにせRTRのギルドはGTCにはなく、逆もまた然りで、ギルドそれぞれのキーワード能力もDGMにもわずかしかない。
それが主役になるパックが1/3に減ったのなら、それが及ぼす影響が薄まるのは当然だ。
むしろ今までが異常な事態であったと思って良い。
今回はパック構成の変化に伴って「居住デッキ」から「セレズニアビート」に名前を変えたって良い。
むしろ変に居住や大隊に拘ってタッチカラーの機会を失ったり、結果的にデッキが弱くなる事に注意した方が良いのではないか。
「紙束化」と言ったって、ギルドのキーワード能力が中心にならない、と言うだけで、デッキとしてのテーマが失われるわけではない。
つまり5色コントロールも立派に「コントロール」を名乗っても良いわけである。
協調に関しては、確かに「惰性でパワーカードピックして、出来るだけマナ基盤を取り繕いました」と言う感じでなんだかなーとは思うが、今までになく上家の意向は汲みにくく、下家にシグナルを送るのは難しいわけだから、取り得る次善の策として、流れてきたパワーカードを扱えるようにする、と言うのも考え方としてはありな気がする。やはり苦しいが。
と言う事で、俺がDGR環境に対して感じる罪悪感と、それを無理やり正当化してみた。
現在のところは、DGMに存在するパワーカードとマナ基盤、それからパックが1/3に減った事で劇的にアーキタイプドラフト(と言うかギルドドラフトと言った方が良いか)が難しくなった事で2色にきっちり収めるメリットは減退したように思う。
しかしながら、RTR→GTCと続いた「多色環境だけど、きっちりギルドカラーでドラフトした方が強いよ」と言う環境の影響は払拭し難く、それもまた罪悪感の根源の1つであるように思う。
だが、恐らくはこのまま環境が進めば、アラーラドラフトがそうだったように「2色も選択肢としてはない事はないけど、3色以上の方が強いよ」と言う風になるのではないだろうか。
それもプロツアードラゴンの迷宮(次のPTこれだっけ?)で明らかになるだろう。
個人的にはそれがかなり強いんだが。
理想とするべきはきちんとしたギルドカラーで、デッキはそのテーマに即したものであるべきだ、と言う感覚が。
もしかすると俺固有の感覚なのかも知れないが、この感覚の根拠になりそうなものを挙げていこう。
2色でも事故る時は事故る。
当然だが2色でも事故は起こる。
40枚のデッキに赤マナの発生源を9枚入れた時、初手に赤マナ発生源が含まれる確率は85%程度だ。
RTRではアゾリウスで《凍結燃焼の奇魔/Frostburn Weird(RTR)》と《太陽塔のグリフィン/Sunspire Griffin(RTR)》を両立させる時、それが特に顕著だった。
それに対して3色ないしそれ以上の多色が平然と呪文をプレイする様は直感的に不公平に感じる。
なので罪悪感の元になる。
もっとも2色でデッキを組む場合、採用されるカードから速度重視もデッキになりやすい。
速度が速いデッキの場合、序盤の展開速度や、中盤からのマナの引きすぎは多色コントロールの場合と比較して勝敗に直結しやすい。
だから展開をパターンわけして考えた時に、事故った感が強いパターンが多くなる、と言う事はありそうだ。
多色デッキは紙束感が強い
最近のリミテッドは特定のテーマをデッキの中心に据えたものが構築される場合が多い。
例えば単に緑黒ビートではなくて「緑黒感染」であったり、白緑ビートではなくて「白緑人間」であったりするわけだ。
RTR以降はギルドそれぞれのキーワード能力によってデッキの性格が異なる印象が強い。
例えば、それが強いかどうかは別として、単にセレズニアカラーのビートを組むよりは、そのデッキに「居住」とそれに関するカードが採用されていた方がより「デッキらしく」見える。
それに対して多色コントロールは特にテーマらしきものがない場合が多い。
それらのほとんどは、マナ基盤を整え、適当に除去して、レアで勝つ。
言い換えれば「カードの束」が「デッキ」に勝つ事になり、これは許容し難い。
だから罪悪感につながる事になる。
またRTR時の多色化は環境にそれなりに存在したダブルシンボルの強コモンによって存在する意義が薄く、GTC時には除去コントロールと言うコンセプトが《肉貪り/Devour Flesh(GTC)》を中心にするタイプのディミーアの役割であり、両者が激突するとディミーアが勝つ事が多かったため、これまた良い選択肢ではなかった。
この事が多色化に伴う罪悪感を助長している可能性はある。
協調していないように見える
実際に最初から5色ピックし、最後まで5色ピックする場合にはほとんど協調とは縁が無い様に思える。
5色ピックがコントロール方向に寄る可能性が高いため、結果として下家に軽めの攻撃的なカードがまわりやすいと言うくらいだ。
ドラフトはカードを使ったコミュニケーションゲームである、と言う解釈の元に自分の周囲とは協調するべきであると言う考えは根強い。
そもそも人間には返報性と言う習性があり、自己に利益をもたらす行為には相手の利益で、自己の不利益には相手の不利益で返そうとする。
真にデッキに必要か否かに関わらず、上家の意向に従わず、下家の色のカードは掠め取る。
これらが周囲の不利益につながる事は直感的に明らかで、だから罪悪感を生じる事になる。
以上の3点が主な俺の罪悪感の発生源だ。
ただ、これら3点も受け取り方次第。
相手が事故ろうが、事故るまいが自分の所為ではないし、マルチカラーのカードが多く、2色であっても序盤につまづく可能性が高い環境なら、そう言うデッキを選ばない=マナ供給源の枚数にゆとりのあるコントロールを志向すると言う考えはあるだろう。
特にDGMの《導き石/Cluestone(DGM)》は、自分のデッキ速度が緩やかなものであれば入れ得だと思っている。
これも多色コントロールデッキにとっては追い風だ。
「デッキの紙束化」もRTR×3環境やGTC×3環境と比較するとそれが進むのはしょうがない事なのだ。
なにせRTRのギルドはGTCにはなく、逆もまた然りで、ギルドそれぞれのキーワード能力もDGMにもわずかしかない。
それが主役になるパックが1/3に減ったのなら、それが及ぼす影響が薄まるのは当然だ。
むしろ今までが異常な事態であったと思って良い。
今回はパック構成の変化に伴って「居住デッキ」から「セレズニアビート」に名前を変えたって良い。
むしろ変に居住や大隊に拘ってタッチカラーの機会を失ったり、結果的にデッキが弱くなる事に注意した方が良いのではないか。
「紙束化」と言ったって、ギルドのキーワード能力が中心にならない、と言うだけで、デッキとしてのテーマが失われるわけではない。
つまり5色コントロールも立派に「コントロール」を名乗っても良いわけである。
協調に関しては、確かに「惰性でパワーカードピックして、出来るだけマナ基盤を取り繕いました」と言う感じでなんだかなーとは思うが、今までになく上家の意向は汲みにくく、下家にシグナルを送るのは難しいわけだから、取り得る次善の策として、流れてきたパワーカードを扱えるようにする、と言うのも考え方としてはありな気がする。やはり苦しいが。
と言う事で、俺がDGR環境に対して感じる罪悪感と、それを無理やり正当化してみた。
現在のところは、DGMに存在するパワーカードとマナ基盤、それからパックが1/3に減った事で劇的にアーキタイプドラフト(と言うかギルドドラフトと言った方が良いか)が難しくなった事で2色にきっちり収めるメリットは減退したように思う。
しかしながら、RTR→GTCと続いた「多色環境だけど、きっちりギルドカラーでドラフトした方が強いよ」と言う環境の影響は払拭し難く、それもまた罪悪感の根源の1つであるように思う。
だが、恐らくはこのまま環境が進めば、アラーラドラフトがそうだったように「2色も選択肢としてはない事はないけど、3色以上の方が強いよ」と言う風になるのではないだろうか。
それもプロツアードラゴンの迷宮(次のPTこれだっけ?)で明らかになるだろう。
コメント
ヤバイ…では意味不明だし。
やはり
やおい
しかあるまいな…。
ど無理
これかぁ!
基本的な考え方として、ラヴニカに5ギルド、門侵犯に5ギルド、迷路で10ギルドということは、10のギルドから2を選ぶことが推奨されている環境だと思います。なので、露骨に5色のパワーカードぶっこみデッキ、になるのは好みませんが、3色は許容ではなくむしろ推奨されていると思っています。2色で組むであろう通常ドラフトでもタッチ3色目という戦略がある以上、基本が3色とするならばタッチ4色目というのもありでしょう。
強調に関しては同感です。実際多色カード多すぎて色読むどころじゃないですね。少なくとも迷路はカードパワー優先にならざるをえないです。
これ3色タッチ2色の汚デッキのテーマね
パックのカードの色がばらけてる+コモンは凡庸だから、10あるギルドのうちの1つくらいなら、下に対して絞りやすいと思います。
GTC世界でのサインが「汝オルゾフをやれ」だとしたら、
DGRでは「汝シミックをやるな(あと9ギルドのことは知らん)」という感じ。
っとジャギ様もおっしゃっておられます。
3-0を目指す以上、上家も下家も敵です。
何と言うか俺のなかで「アーキタイプは良し、そうでなければ悪し」みたいな感覚が強くて。なんなんでしょうね。
俺もカオスドラフトは好きですよ。キューブも好きだし。
確かに多色が許容されてる感はあるんですが、放漫ピックにつながりやすくてどうにも。まぁ正着が見えていないからってのは依然としてありそうです。
>らぐさん
汚物い(おもい)とお読みすれば良いんでしょうか。
そう言えば俺は汚綺麗なデッキが好きやったんや・・・。
>drafterさん
なるほど。考え方としてはすげー納得です。
しかし俺が良くやるのが、グルールの強いアンコモンをピック→税収飲みをピックとか平気でやるので、受け取る側はどう受け取るのかなーと言う疑問はあります。
と言うか、そう言うピックがむしろ間違っているのか。
>四日市さん
俺って結構罪悪感を感じやすいタイプで
「デスカットですね!」
とか言われると(もしくは言われなくても)結構、悪い事したなー・・・って思うタイプですね。
恐らくは過去に
「マリガンさえしなければ絶対にお前になんか負けないのに!」
と言われた経験からかと思います。
>Dさん
今は悪魔が微笑む時代なんだ!
ジャギ様ー!
でもそれって最終的に負ける奴のセリフなんじゃ・・・流れ的に・・・。