前回のエントリで書いた「夢の中の1QP」で思い出したんだけど、俺は願望がものすごくストレートに夢に出てくる。
夢って言うのは現実では満たされない願望を頭の中で果たすって言う機能があるらしくって、大人になるとわりと湾曲な表現でしか出てこないらしいんだけど、子供とかわりと分かりやすい夢をみるのね。
イチゴが好きな子が、夢の中でイチゴを食べるとか、そんな感じの奴。
俺は当然おっさんなんだけど、夢はわりとストレートなのを見るのね。
イチゴを食べるとか、そんなのは無いけど、夢の中でQP取ったりとかね。子供だよね。単純なんだよな。きっと。
んで、猫の話。
俺が子供の頃は家で猫を飼ってたんだ。子供の頃は・・・って書いたけど、大学生の頃も、子猫からじいさんになった猫を飼ってたんで正確じゃないんだが、まぁ猫を飼ってた。
時系列は違うけど、何匹もね。俺は子供の頃から猫が好きで、よくかまってた。猫も懐いてたと思うよ。鼻タッチとかしてたしね。
歴代の猫の中で『クロ』って猫がいたの。色が黒いから『クロ』。みたまんまだな。俺だけじゃなくて家族も単純だったのかね。
こいつも俺に良く懐いてくれて、夏でも俺が座ると膝の上で丸くなったし、冬になると布団にもぐりこんできた。
俺は親愛の証だと思っていて、眠っていても布団の上を歩いてくる気配を感じると入りやすいように毛布をめくって入れてやる。入ってくる瞬間は冷たいんだけど、すぐに暖かくなるのが気持ち良かった。
その『クロ』がある日いなくなったんだ。それから1週間経っても、2週間経っても帰って来なかった。
その頃は室内飼いじゃなくて、普通に外に出していたもんだから車にひかれたのか、それとも何か別の理由で帰って来れなくなったのか・・・。
探すには探したが外に出れば猫はどこにだって自由にいける。首輪も付けていなかったから保護してくれた誰かから連絡が入るなんて事もなかった。
1ヶ月経って、半年が過ぎ、俺は『クロ』を諦めた。
でも『クロ』は戻ってきた!
2年以上経ったある日、居なくなったのと同様に、唐突に玄関にいたんだ。ちょっと痩せていたんだけど確かに『クロ』だと思った。
もしかすると『クロ』に似た別の猫だったのかも知れない。でもそんな事は関係なく『クロ』はにゃあと鳴いて母が用意したご飯を食べ、また家族になった。
それから何年かを一緒に過ごしてまた『クロ』は居なくなった。
また探した。やっぱり見つからなかった。でも今度は諦めなかった。
1度はいなくなった『クロ』だけど2年経って帰ってきた。今度も帰ってくると思ったんだよ。単純だったんだ。単純な奴に、前例は強い。
1ヶ月経って、半年が過ぎても俺は『クロ』を諦めなかった。
2年以上経ったある日、俺は夢をみた。
布団の上を歩くカサ、カサと言う感触。俺が寝ている足の間を踏みつけて歩いてくる。
俺はあ、『クロ』だ。と思った。毛布をめくって入れてやる。
一瞬だけ、冷たい毛の感触がする。
俺は安堵して抱きしめた。すぐに暖かくなる。また一緒に居られる、そう思った。
朝起きてみると『クロ』はいなかった。見ると部屋のドアも隙間なく閉まっていて、帰ってきた形跡すらなかった。
俺の足の間を寄ってくる感覚は覚えていたけど、一瞬だけ冷たい毛の感触も、確かに抱きしめた感触も残っていたけど、俺は夢だと気がついた。単純だったけど、現実主義者だったから。
それから『クロ』は死んだんだ、と思った。
いま考えれば俺が夢を見た事と『クロ』が死ぬ事には何の関係もない。
俺は単純で、現実主義者だったんだけど『クロ』は死んだんだと思ったんだ。
それから『クロ』は帰って来なかった。
その後も家では結構な数の猫を飼っていて、やはりいつか居なくなり、何匹かは『クロ』と同じように夢に出てきた。
いつも感じるのは確かな感触と、また一緒にいられるのだと言う安堵感。
それから目が覚めて、夢だと気がつき、飼っていた猫の死を受け入れた。
俺は現実主義者だから、この夢は猫に会いたいと言う気持ちの現われであり、夢によってそれが満たされて、その死を受け入れる事が出来る、と考えていた。
でも、最近では猫が最後のお別れのために会いに来てくれたと、そう考えても良いんじゃないかと思えてきた。人間、最後は理屈ではなくて気持ちが一番大事なのだ。
人間、と言いつつ別れを言いに来るのは猫なのだけど。
あの子らには、いまも昔も感謝しかない。改めて冥福を、祈る。
夢って言うのは現実では満たされない願望を頭の中で果たすって言う機能があるらしくって、大人になるとわりと湾曲な表現でしか出てこないらしいんだけど、子供とかわりと分かりやすい夢をみるのね。
イチゴが好きな子が、夢の中でイチゴを食べるとか、そんな感じの奴。
俺は当然おっさんなんだけど、夢はわりとストレートなのを見るのね。
イチゴを食べるとか、そんなのは無いけど、夢の中でQP取ったりとかね。子供だよね。単純なんだよな。きっと。
んで、猫の話。
俺が子供の頃は家で猫を飼ってたんだ。子供の頃は・・・って書いたけど、大学生の頃も、子猫からじいさんになった猫を飼ってたんで正確じゃないんだが、まぁ猫を飼ってた。
時系列は違うけど、何匹もね。俺は子供の頃から猫が好きで、よくかまってた。猫も懐いてたと思うよ。鼻タッチとかしてたしね。
歴代の猫の中で『クロ』って猫がいたの。色が黒いから『クロ』。みたまんまだな。俺だけじゃなくて家族も単純だったのかね。
こいつも俺に良く懐いてくれて、夏でも俺が座ると膝の上で丸くなったし、冬になると布団にもぐりこんできた。
俺は親愛の証だと思っていて、眠っていても布団の上を歩いてくる気配を感じると入りやすいように毛布をめくって入れてやる。入ってくる瞬間は冷たいんだけど、すぐに暖かくなるのが気持ち良かった。
その『クロ』がある日いなくなったんだ。それから1週間経っても、2週間経っても帰って来なかった。
その頃は室内飼いじゃなくて、普通に外に出していたもんだから車にひかれたのか、それとも何か別の理由で帰って来れなくなったのか・・・。
探すには探したが外に出れば猫はどこにだって自由にいける。首輪も付けていなかったから保護してくれた誰かから連絡が入るなんて事もなかった。
1ヶ月経って、半年が過ぎ、俺は『クロ』を諦めた。
でも『クロ』は戻ってきた!
2年以上経ったある日、居なくなったのと同様に、唐突に玄関にいたんだ。ちょっと痩せていたんだけど確かに『クロ』だと思った。
もしかすると『クロ』に似た別の猫だったのかも知れない。でもそんな事は関係なく『クロ』はにゃあと鳴いて母が用意したご飯を食べ、また家族になった。
それから何年かを一緒に過ごしてまた『クロ』は居なくなった。
また探した。やっぱり見つからなかった。でも今度は諦めなかった。
1度はいなくなった『クロ』だけど2年経って帰ってきた。今度も帰ってくると思ったんだよ。単純だったんだ。単純な奴に、前例は強い。
1ヶ月経って、半年が過ぎても俺は『クロ』を諦めなかった。
2年以上経ったある日、俺は夢をみた。
布団の上を歩くカサ、カサと言う感触。俺が寝ている足の間を踏みつけて歩いてくる。
俺はあ、『クロ』だ。と思った。毛布をめくって入れてやる。
一瞬だけ、冷たい毛の感触がする。
俺は安堵して抱きしめた。すぐに暖かくなる。また一緒に居られる、そう思った。
朝起きてみると『クロ』はいなかった。見ると部屋のドアも隙間なく閉まっていて、帰ってきた形跡すらなかった。
俺の足の間を寄ってくる感覚は覚えていたけど、一瞬だけ冷たい毛の感触も、確かに抱きしめた感触も残っていたけど、俺は夢だと気がついた。単純だったけど、現実主義者だったから。
それから『クロ』は死んだんだ、と思った。
いま考えれば俺が夢を見た事と『クロ』が死ぬ事には何の関係もない。
俺は単純で、現実主義者だったんだけど『クロ』は死んだんだと思ったんだ。
それから『クロ』は帰って来なかった。
その後も家では結構な数の猫を飼っていて、やはりいつか居なくなり、何匹かは『クロ』と同じように夢に出てきた。
いつも感じるのは確かな感触と、また一緒にいられるのだと言う安堵感。
それから目が覚めて、夢だと気がつき、飼っていた猫の死を受け入れた。
俺は現実主義者だから、この夢は猫に会いたいと言う気持ちの現われであり、夢によってそれが満たされて、その死を受け入れる事が出来る、と考えていた。
でも、最近では猫が最後のお別れのために会いに来てくれたと、そう考えても良いんじゃないかと思えてきた。人間、最後は理屈ではなくて気持ちが一番大事なのだ。
人間、と言いつつ別れを言いに来るのは猫なのだけど。
あの子らには、いまも昔も感謝しかない。改めて冥福を、祈る。
コメント
中1のときまで飼っていた猫が事故で死んでしまい、それから10年近く猫を飼いませんでした。
その間、何度もその猫の夢を見ました。
雪がちらほらしている日に道路で見つけただっ今ぐらいの季節になると特に夢を見てました。
最後の行は、道路で見つけたので、ですね。
今また猫を飼っていますが、また同じ目に遭わせたくないので病院以外で外に出したことがないです。
>室内飼い
猫に不自由をさせるような気はするけど、守るために外に出さないのが愛だと思います。
猫飼ってるのはすげー羨ましいです。俺も飼いたいけど、ペットロスに耐えられる自信は皆無なのでどうしても出来ませんね・・・。