気分転換
早いもので、来週はもうGP仙台の本番がやってくる。

日程の関係で直前GPTに出られないので、今週末しか大会に出る機会はない。
にも関わらず週末だと言うのに会社に篭り切りで、土曜日はほとんど確定で、もしかすると日曜日も仕事をしなければならない状態だ。

焦る気持ちがないと言えば嘘になる。
僕の練習不足は、誰よりも僕が痛感しているし、最近の大会成績は、何よりもそれを明白に示している。

このままで、勝てる訳がない。

以前は敗北へのプレッシャーからか、この言葉に怯え、周囲に当り散らしたりもした。
だが、今は以前とは違う角度でこの言葉と、それがもたらす焦燥感と向き合っている。

GP仙台と言う本番が近づくにつれて焦燥感が増すのは、僕がGP仙台で勝ちたいと言う気持ちの表れだ。
この「勝ちたい」と言う気持ちが自分の中に残っている事が、今は嬉しい。

僕は勝敗に関わらず、お互いが最善を尽くせば、MTGと言うゲームは楽しめるものだと思っている。
だが、この「勝敗に関わらず」と言う部分が曲者で、色々と不純なものを連れてくる。
「勝敗に関わらず」と言う事は、結果を問わないと言う事であり、結果を問わないと言う事は、ゲームにおける自分自身の責任の放棄につながる。

本当に最善を尽くしたのか。
敗戦を諦観で誤魔化してはいないのか。
反省するふりをして、結果から目を逸らしてはいないのか。

こう言った問いに対して、単に「勝敗を問わない」事を是とすれば答える事は出来ないのではないか。
だが、ゲームに参加する以上「勝ちたい」と言う気持ちがある事を前提とするならば。
先の問いに対する答えは自明である。
「勝ちたい」以上は最善を尽くすし、敗戦から反省材料を見つけ出し、次につなげようとするだろう。

この「勝ちたい」と言う欲求こそがお互いが最善を尽くす事を担保しているのであり、ゲームの価値を保っているのだと言える。

でも。
この焦燥感を持ち続けていると言うのは、同時に身体を疲労させ、アイデアを詰まらせる。
それでは折角のGPと言うイベントが苦痛になってしまうだろう。
これは非常に勿体無い事だ。

抱えきれなくなったプレッシャーや焦りは、一旦手放せるのが良い。

そこで気分転換するには、と言うお話になる訳だが、オススメの方法が一つ。

それは「泣く」事である。

確かに世間一般的には(ロマンチックなシチュエーションを除いて)泣くと言う行為は肯定されない。
これは人間が持つ他者に共感すると言う能力が、通常は負の感情の発露である、泣くと言う行動に対して共感してしまう事で不快感を誘発するからで、コミュニケーション手段としての泣くと言う行為はウザいの一言である。

だが、泣くと言う行為は感情をリセットする調整機能を持っている。
コミュニケーション手段で無いならば特に忌避する謂れはないのだ。

思い出して見ると、子供の頃に癇癪を起こして泣き喚いた挙句に寝入ってしまい、目が覚めた時にはすっきりしていたと言う経験は誰しもあるのではないだろうか。

画像はその見本。

まぁここまでしろとは言わないが・・・。
週末も問答無用で仕事を続ける僕の心の叫びでもある。

結果を求めて焦ったりするのは、あなたがそれだけ真剣だからであり、それはゲームの価値を担保する。
だから、僕はそれを肯定するべき感情だと考える。

ただ、時にはそれを肩から降ろしてホッと一息つく事も必要だ。
楽しいものが、楽しめなくなる事ほど勿体無い事はないだろう。
人それぞれに気分転換の方法がある。
もし、それが上手く行かない時には、ちょっと泣いてみるのも良いだろう。

GP仙台まではあと僅か。
どうかこのイベントがあなたにとって楽しめるものであって欲しい。

コメント

ラッチ
2010年5月28日21:51

鏡の前で思いっきり哀しい顔、悲しい顔、と作ろうとすると自然と涙も一緒に出てきたりしますよね。

気分転換のために泣き顔を作ってみたことはないですが、笑い顔ならたまにやります。
ひたすら馬鹿みたいに陽気な顔を作ってみると、鏡に映ったその自身の変顔を見て思わず笑ったり、余りにもばかばかしくなってきて、結果として陽気な気分になれます。

bun
2010年5月28日22:34

こんばんは。

そう言うのってありますよね!
僕も学校の授業でマラソンがあった時に、うえーって顔をするとマジできつくなるので、わざと笑顔を作っていました。
端から見るとかなりの変態ですがw
表情の変化なんて、ただの筋肉の動きでしかないのに、精神的に影響を与えるのは不思議ですね。
自分で自分をモニタしてラベリングしてるんですかね。
鶏が先か、卵が先か、みたいな。

ディズニーの映画か何かで、現実では泣けないから夢の中で泣くだけ泣いてストレスを解消する女の人が出てくる話があって、あー。分かるなって思いました。

笑いにも感情調節の機能があって、ストレス解消が出来る様ですが、泣くのも気持ちの良いもんですよ。
「泣けよ」なんて言うと思いっきりサディストですが、お勧めです。

Fの人
2010年5月28日23:31

こんばんは。
泣く、吐く行為は生理学的にもストレスを抑える働きがありますからストレス溜まってきて泣きじゃくったり物食べて吐くのは正常です。と笑顔で話してた大学の教授を思い出しましたw
心の影響が体に出るように、体を無理やり動かすことによって心をコントロールするのも必要なスキルなのかもしれないですね。まぁ人前で泣かれたらかなわないですけどw

仙台の準備は自分もまだまだ不十分ながら結局は見切り発車になってしまいそうです。ただ、社会人の趣味としてやっている以上、許された時間でどれだけ結果を出すかというのも逆に挑戦として楽しむべきなのかなと思ったりもします。

bun
2010年5月29日9:32

おはようございます。

>教授
笑顔で言うとは、さすが学究の徒ですねw

>コントロール
自分の中で、試合に集中できるスイッチになる動作と、自分が集中できていない時のサインを見つけておくと便利かと思います。

コミュニケーション手段としての泣くと言う行為は、恫喝と同じですねw
「俺は泣くからお前が何とかしろよ」って言う。

僕も仕事に追われていますが、それを結果に対しての言い訳にはしたくないと思っています。
状況としては厳しいですが、楽しんで行きましょう!
bun

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