Ei-mさんのエントリ「対戦相手にルールを訊くな」を読んだ。
内容は解りやすく、また正論だと思う。
世の中にはRule-mongerの様なプレイヤーもいるけれど、ルールに関する知識が深い事と、適切なジャッジングが出来る事とは意味が異なる。

かのヨーグモス・ドレイン(《ヨーグモスの意志/Yawgmoth’s Will(USG)》と《暗黒の儀式/Dark Ritual(USG)》の無限マナコンボ)は当時のルールで完全に合法だったが、ヘッドジャッジ裁定で不成立になった。
ゲームは出来る限り適切に処理されるべきで、何が適切なのかを決めるのはジャッジの役割であってプレイヤーの役割ではないのだ。
特にプレリリースにおいては、新しいカードがもたらす問題に正式な裁定が下されていない場合もある。その場合に限った事ではないけれど、裁定を下すのはヘッドジャッジだ。

僕の周囲のプレイヤーは、僕も含めてこの事―何かあったらジャッジの判断を仰ぐ。そして裁定には従う。と言う事は当然知っている。

でも。

そう。話は「でも」で続いてしまう。
僕がジャッジを呼ぶと言うのはあくまで「最終手段」なのだ。
一般的なルールに関する疑問に限らず、プレイの巻き戻し、ライフの齟齬があった時、シャッフル途中でライブラリが崩れてしまった時・・・etc
既に起こった問題を、出来る限り対戦相手とのコミュニケーションで解決しようとしてしまう。
頭の中では問題が起こった時にはジャッジに判断を仰ぐのが望ましいと理解していたとしても。 仰がなくてはならないと理解していたとしても。
こういった行動は何故起こるのか。
日常生活においては、他人との間に問題が生じた場合、それがコミュニケーションで解決できるものなら、当事者同士で解決する事が望ましい。
この様な感覚をMTGにおいても適用してしまうのだろうか。

MTGはコミュニケーションゲームとしての側面もあり、特にカジュアルな大会においては、ルールを厳格に適用すると言う事よりも「楽しく遊ぶ」と言う事が優先される。
その場合、対戦相手は一緒にゲームを楽しむパートナーと言う立ち位置だ。
例え初対面の人間だとしても相手に悪意があるかも知れないと言う事は想定はしない。
だから何かしら問題が生じた時には、まず目の前の相手に相談してしまう。

―こう言う場合はどうなるんでしょうか。と。

人に何かを相談すると言う行為の背後には、その人間に対する信頼がある。
逆にそれをしないと言う事は、その人間に対する不信を表す事になるのではないか。
意識してか、意識せずにかそう考えてしまうのも自然な様に思える。

結局ルールを「不正行為から自分を守るもの」として捉えると厳格に適用する事を自分に課す事は出来ても、相手に求める事は難しい。
MTGをプレイするのは楽しむためであり、最終的に勝つ事より優先する事があるからだ。

でもルールが守られなければ、それはゲームでは無いとも思う。
ゲームにおける勝利に価値があるのは、ルールに則りお互いが最善を目指すからなのだ。
この視点に立つとルールは「結果の価値とゲームそのもの」を守るためにあるのだと思う。

本当にお互いが「良い試合でしたね。」と言える様に最善を尽くすべきなのだろうとは思う。
ただ、僕の対戦相手がどう思うのかは解らない。

もし、今後対戦相手が自身のミスに気が付き、巻き戻しを要求したとしたら、僕はどう対処するだろう。
ゲームを守るためにジャッジを呼び、裁定を仰ぐだろうか。
それともそれを容認するだろうか。

理性はジャッジを呼べ!と叫び、感情は許してやれと言うだろう。

答えは、まだ出ない。

※追記

結局ルールに従い、対戦相手にジャッジを呼ぶ必要性を説明し、ジャッジを呼ぶ事にしました。
本来、ルールは守るべき物で、大会参加者はルールについての知識を有していなくてはいけません。
カジュアルプレイヤーにしろ、トーナメントプレイヤーにしろ、大会参加者はルールについての知識と、それを遵守する姿勢を前提とするべきです。
もし、それに相応しくない言動や要求があったなら、それをうやむやにして受け入れるべきではないし、ルールを無視して試合を続行する事を望むべきではありませんでした。
やはりゲームにはルールがあるから価値があるはずです。
それを自分の個人的感情で無視するのは間違っています。
ルールは自分の為に守るものでも、相手の為に守るものでもなく、お互いの為に、ひいては全てのゲーム参加者の為に守るものだと考えます。

コメントをして下さった皆様ありがとうございましたm(_ _)m
考えるきっかけを下さったEi-mさん、考えを深めさせて下さったcramcramさんには特に感謝を。

コメント

Fの人
2010年2月11日0:18

何かあったときに、こっちの顔も見ずに「へいジャッジー!」する人は正直好きではないです。
「あ、これはジャッジ呼んだほうが(ルール的にも)良いですよね?」って一言確認と了解を得てもらうだけでも全然違うんですが。

リアルで(←この言い方があってるかはわからない笑)MTGをする場合、MOと違い対戦相手の顔色を見るというのも醍醐味であるし、逆に言えばマナーでもあるわけで。PCの前でどんなに負けて苦い顔してても別に伝わらないからいいけれど、リアルではやめてほしいなぁと考えてしまうことが少なくないというのが悲しいですね。

bun
2010年2月11日0:47

こんばんは。
そうですね。一言加えてくれるだけで雰囲気がだいぶ変わると思います。
やっぱり、何かしら問題が起こった時と言うのは、お互い嫌な空気になりやすいですから気をつけたいですね。

リアルで(と言う言い方で良いと思いますよw)MTGをする時は、MOと違ってジャッジに判断を仰ぐ必要が出てくる時もあると思います。
そう言う時に情に流されずに、きちんとジャッジの判断を仰がなくてはいけないのでしょうが、時には「それ位良いでしょ」と思わない事も無かったり。
場合によってはそのままゲームが終わったりする訳ですから、やっぱり勝手に判断しちゃいけないんだと言うのは解るんですが・・・。

多分僕みたいなのがいるから、啓発が必要になってるんだと思います。
すごく考えさせてもらいました。

nophoto
DDT
2010年2月11日8:47

>問題が起こった時にはジャッジに判断を仰ぐのが望ましい

「望ましい」ではなく「ジャッジを呼ばなくてはならない」という考え方がいいかと。
実際MTGにおいては「ジャッジを呼ぶべき状況でジャッジを呼ばなかった」こと自体が、ペナルティの対象になることがあります。
本文の例では

>プレイの巻き戻し
ルールに定められた、不正な処理(コストを支払えない呪文を唱えようとした等)であればジャッジを呼ぶ必要は無く巻き戻されますが、それ以外で巻き戻ることはありません。基準が分からなければジャッジを呼びましょう。

>ライフの齟齬があった時
対戦相手と話して齟齬が解決したならジャッジを呼ぶ必要は無いと思われますが、ルール適用度の高い大会ではジャッジを呼んで確認してもらったほうがいいでしょう。

>シャッフル途中でライブラリが崩れてしまった時
表が見えなければ問題ありませんが、表が見えてしまったときにはジャッジを呼ぶ必要があります。

もちろん、ジャッジを呼ぶ際は対戦相手にそのことを丁寧に伝えてからジャッジを呼ぶのがマナーです。
コミュニケーションの話がありましたが、ジャッジを呼ぶというのはプレイヤーがルールを出来るだけ理解するとか、ゲームを適正にプレイする等の、ゲームの根本的な部分であり、コミュニケーションやマナーとは切り離して考えるべきだと思います。
ジャッジを呼ぶことは必ずしも相手とのコミュニケーションを阻害するものではないということを意識すること、相手にもそれを求めるのは難しいことではありますが、自分がその意識を持っていれば相手にも伝わることが多くあります。
あとは、どういった状況でジャッジを呼ぶべきかを理解しておくことで、無用にジャッジを呼ぶことを減らすのが大事だと思います。

bun
2010年2月11日11:22

>DDTさん
こんにちは。初めまして。

>「望ましい」ではなく
ご指摘ありがとうございます。
確かに「望ましい」ではなくて「ジャッジを呼ばなければならない」が正確ですね。該当箇所を訂正しました。

>ジャッジを呼ばなかった事へのペナルティ
僕はルールについて余り詳しくありませんが、そう言った規定があると言うのは理解しています。
他の例についても、実際はジャッジを呼ばなくてはいけない時があると言うのも解るのですが、その上でなお葛藤があるのです・・・。

例えば、白熱した接戦の末にこちらがGAME1を勝ったとします。
お互い感想戦をしながらサイドボードをしている最中に対戦相手がサイドボードが16枚ある事をこちらに申告したとします。
適切に処理しようとすればジャッジを呼んで裁定を下してもらい、それを受け入れる事が正しい行動です。でも、もしかすると裁定はゲームロスかも知れません。
もしそうなれば試合はそこで終わってしまいます。

このままジャッジを呼ばずに、余分なサイドボード1枚をバインダーに戻してもらうだけで何事も無かったかの様に試合を続ける事ができる・・・。
GAME1が良い試合だったなら、余計にそう考えてしまうと言うのは不自然ではない気がします。

当然、上記の行動がルールに照らせば間違っている事は明白です。
この場合は絶対にジャッジを呼ぶべきです。
でも自分は、対戦相手と「通常のゲーム」をプレイしたいのです。

もしDDTさんが同じ立場だったらどうしますか?やはりジャッジを呼ぶでしょうか。
もし対戦相手が親しい友人だったら?
もし対戦相手が経験は少ないけれど、やる気溢れる新規プレイヤーだったら?
もし対戦相手が滅多に対戦できない有名人プレイヤーだったら?

そう考えた時、僕は自分が取るべき行動はもちろんジャッジを呼ぶ事だと言う理解はあるのですが、その場で適切に行動できる自信がありません・・・。

cramcram
2010年2月11日14:43

bunさん>
こちらでははじめまして。
コメントにコメントを返してみます。

おそらく、K値の高い大会などでは、試合内容はもちろんですが、
ジャッジを呼ぶべき時に呼んで、しっかりルールを適用する試合こそが、
「良い試合」であり、「通常のゲーム」なのではないでしょうか。
もちろん、カジュアルな雰囲気を大切にする大会では、
試合内容が良く、お互いが気持ちよく試合することが
「良い試合」であり、「通常のゲーム」なのだと思います。
この件は私の中では、「郷に入りては郷に従えという話」として整理されました。

ラッチ
2010年2月11日15:32

自分がサイドボードでミスがあった際、対戦相手の方から
「申し訳ないですけど、一応公式試合なんでジャッジ呼ばせてもらいますね」
と一言言っていただけたのが強く印象に残っています。

その後裁定でゲームロスがでて試合には負けましたが、相手に対する嫌な感情等は一切残りませんでした。このあたりはコミュニケーションで解決できますね。


上記のような場合に関してですが、やはりジャッジを呼ぶのがお互いに最善かと思います(気持ちは痛いほどわかりますが)。

仮にbunさんが相手のミスを容認し、ジャッジを呼ばずにゲームを進行したとして、それでもし相手が勝ってしまった場合にはやはり、互いに釈然としないものが残るのではないかと。

逆にジャッジを呼んでゲームロスがでた場合、それは非常に残念なことですが、少なくとも、こういうミスをした、という経験と、二度と同じミスをするまい、という意識が残ると思います(自分はそうでした)。

長文失礼しました。

bun
2010年2月11日19:05

>cramcramさん
そうですね・・・。仰るとおりだと思います。
ルール無用で、普通に試合をしたいと言う主張は無理がありした。

結局、僕のわだかまりの原因もカジュアル志向とトーナメント志向の立場の違いにあると言う気がします。
どちらも場合も厳格にルールを適用するべきだと考えると、どうしても違和感を感じてしまって。
あー。でもそのために「ルール適用度」と言うのがあるのかな・・・。
実は単に僕の勉強不足なのかも知れないですね///

>ラッチさん
こんばんは。
やっぱり一言あるか無いかで、その後の雰囲気がだいぶ違いますよね。
問題があった時に、それが今後につながる経験になるのか、それともただ不愉快な思いをしただけで終わるのかの違いは大きいと思います。
ラッチさんはお互いの対応が良かったので、財産としての記憶が残っているのかなと思います。

思えば、僕がルールを逸脱してでも結果を試合で決めたいと思うのは、過去の経験のせいかも知れません。

僕が初めて日本選手権予選を突破した時、5-0で迎えた6戦目に普通に負けて、5-1になったはずだったのですが、エントリースリップの書き間違い(!)で6-0になってしまいました。
事実が発覚した後、6戦目の対戦相手と一緒にジャッジに抗議をしにいったのですが、同然結果が覆るはずもなく。
対戦相手は顔をしかめて走ってどこかに行ってしまうし、ジャッジは「悪いのはお前らでしょ」と言う顔をしているしで、その後ID×2で予選こそ抜けましたが、罪悪感で本戦には参加出来ませんでした。
それから、スリップを必ず確認する様にはなりましたが・・・。
まぁこれは理由にならないですね・・・。

お互いが結果に対してわだかまりを持たない為に、ジャッジを呼ぶべきだと言うのは解ります。
あくまで「お互いの為」に呼ぶのであって、僕が試合を続けたいからルールを無視すると言うのは確かに間違ったやり方ですね。

うん。素直にジャッジを呼ぶ事にします。
お二人ともコメントありがとうございました。

Ei-m
2010年2月11日21:22

 本文後半の「対戦相手がルールを破ってしまった際にどう対処するか」という話について。

 最も良くないことは、ジャッジを呼ぶときと呼ばないときがあることです。

 対戦相手の前でジャッジを呼ぶのは、ちょっと気遅れがすることです。私も、できればしたくありません。相手のミスを見つけたときにジャッジを呼べば、ほとんどの場合、対戦相手に不都合なことが起こります。こんなとき、自分がジャッジに言いつけて対戦相手を痛めつけた、という錯覚を覚えるのは自然なことだと思います。

 ジャッジの立場で言っていいことではないのかもしれませんが、相手がミスをしたとき、ジャッジを呼ばずに当事者だけで解決することは、そんなに悪いことだとは思いません。しかし、あるときにはジャッジを呼んで、あるときには呼ばない、これは問題だと思います。

 同じミスをしたとしても、対戦相手が気に食わないからジャッジを呼ぶ、または良い人そうだから呼ばない、とか。どうしても勝ちたいゲームだから呼ぶ、大して影響がなさそうだから呼ばない、とか。こうなると、自分に都合のいいときだけジャッジを利用しているような感じがしませんか。

bun
2010年2月11日21:50

>Ei-mさん

>最も良くないことは、ジャッジを呼ぶときと呼ばないときがあることです。
同様の指摘を今回の件で相談に乗ってもらった知り合いのジャッジからも受けました。
結局、ルールの遵守や公平性を考えたときに、ジャッジを呼ぶか呼ばないかと言う根本的な問題で、ケースによって対応が異なると言うのはおかしいと言う事ですね。

僕の場合は、相手が初対面のプレイヤーであったとしても、問題が起こった時にも出来るだけジャッジを呼びたくないと言うのが出発点だったので、相手に拠らず、誰にでも同じ対応をするだろうと言う意識がありました。
でも、対戦相手が規格外の不愉快な相手である可能性も考慮しなくてはいけませんでした。
その場合は・・・信条によらずジャッジを呼んだと思います。

ここまで思考が及んだ時、公平性と言う観点から僕の行動に問題があるのは明白になります。

ただ、追記も含めて僕のエントリからはそうは読まれない。
必要なのに欠けていた部分を埋めて頂いた思いです。
考えるきっかけを与えて頂いた事。コメントを頂いた事。改めて感謝致します。

今回のエントリが無ければ、僕のルールに対する姿勢は歪なままだったと思います。
とは言え当然実践して初めて意味のある事で、これでお終いと言う話ではありません。
厚かましいのですが、これからも啓発して頂けると嬉しく思います。
bun

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