先日、数年ぶりに地元の図書館に入った。
どうしても電車で移動しなくてはいけない用事が出来てしまい、移動時間をつぶせるものが欲しかったのである。
僕も学生時代は良く本を読んでいた。
主要な移動手段が電車であった事と、通っていた大学が自宅の遠方に位置していたため、通学時間は自然と読書に充てられた。
大学卒業と共に電車に乗る機会も無くなり、加齢によって生来の感情移入しすぎる性格が増長した為、ミステリなら人が死ぬシーンが辛くなりすぎ、恋愛小説なら、物語の内容のほぼ全てが辛くなり過ぎて読書量が減少した。
現在は物語ではない解説書や、そもそも理不尽である事を前提として「怖い話」系の物語を読む事が多い。
例外的に京極夏彦作品は未だに好んで読んでいる。
そんな僕が久しぶりに手に取ったのが
「心は実験できるか―20世紀心理学実験物語」である。
もともと大学では心理学系の講義を取っていた事もあり、現在も割と興味を引かれる分野である。
「物語」と銘打ってあるだけあって、内容も物語調であり理解しやすい。
反面、やはり「物語」であって、僕の涙腺を刺激する。
その中のB・Fスキナーのオペラント条件づけの話は面白かった。
ヒトを含む動物の行動を報酬によって制御すると言う考えだ。
例えば、箱の中のネズミが1回ペダルを押すと餌を与える。
そうするとネズミはペダルを押すと餌が出てくる事を学習する。
ネズミが学習した後に、環境を変更し、今度は5回ペダルを押すと餌が出てくる様にする。そうするとネズミは1回ではなく、5回ペダルを押す事を学習する。
次に環境を変え、何回ペダルを押しても餌が出てこない様にする。
そうするとネズミはそれを学習して、ペダルを押すと言う行動を止めてしまう。
これだけだと「ふーん。ネズミも学習するんだな」と思うだけだが、話にはまだ続きがある。
1回ペダルを押すと餌が出てくる環境を維持するとネズミはそれを学習する。
5回でもそれは同様だ。
では、環境を変えて、割合を変えて何回かに1回、もしくは何十回かに1回餌を出すようにするとどうなるか。
何回ペダルを押しても餌が出てこない場合は、ネズミはそれを学習してペダルを押すと言う行動自体を止めてしまうが、ペダルを押したら不定期に餌を出すようにすると、ネズミはペダルを延々と押し続ける。餌が出てくるかも知れないからだ。
つまり、特定の行動に対して報酬が出る事を学習した動物は
「報酬が得られる可能性が未知数」でも行動を起こしてしまうのだ。
そしてこれはヒトを含む動物に適用可能だと言う。
思い起こせば、ギャンブルや、投機的な株式投資などが該当するだろうか。
いや。それらの報酬はあくまで確率的なんであって未知数ではないのか・・・。
違うのかも知れないが、空腹時に中身を知っている冷蔵庫を開けて、ため息をついてまた閉める。時間を少し置いてまた開けると言う事をついやってしまう。
ネズミや他の動物に見られる行動が、本当にヒトに適用可能なのかどうかは、僕には判断が出来ない。
判断出来ないが、この理論が人間の行動の一面を説明出来ているのも事実である。
僕が冷蔵庫を開けて、中身を確認し、ため息をついてまた閉める。
そんな姿が、餌を求めてペダルを押し続けるネズミとダブるのは・・・何ともゾッとしない話である。
どうしても電車で移動しなくてはいけない用事が出来てしまい、移動時間をつぶせるものが欲しかったのである。
僕も学生時代は良く本を読んでいた。
主要な移動手段が電車であった事と、通っていた大学が自宅の遠方に位置していたため、通学時間は自然と読書に充てられた。
大学卒業と共に電車に乗る機会も無くなり、加齢によって生来の感情移入しすぎる性格が増長した為、ミステリなら人が死ぬシーンが辛くなりすぎ、恋愛小説なら、物語の内容のほぼ全てが辛くなり過ぎて読書量が減少した。
現在は物語ではない解説書や、そもそも理不尽である事を前提として「怖い話」系の物語を読む事が多い。
例外的に京極夏彦作品は未だに好んで読んでいる。
そんな僕が久しぶりに手に取ったのが
「心は実験できるか―20世紀心理学実験物語」である。
もともと大学では心理学系の講義を取っていた事もあり、現在も割と興味を引かれる分野である。
「物語」と銘打ってあるだけあって、内容も物語調であり理解しやすい。
反面、やはり「物語」であって、僕の涙腺を刺激する。
その中のB・Fスキナーのオペラント条件づけの話は面白かった。
ヒトを含む動物の行動を報酬によって制御すると言う考えだ。
例えば、箱の中のネズミが1回ペダルを押すと餌を与える。
そうするとネズミはペダルを押すと餌が出てくる事を学習する。
ネズミが学習した後に、環境を変更し、今度は5回ペダルを押すと餌が出てくる様にする。そうするとネズミは1回ではなく、5回ペダルを押す事を学習する。
次に環境を変え、何回ペダルを押しても餌が出てこない様にする。
そうするとネズミはそれを学習して、ペダルを押すと言う行動を止めてしまう。
これだけだと「ふーん。ネズミも学習するんだな」と思うだけだが、話にはまだ続きがある。
1回ペダルを押すと餌が出てくる環境を維持するとネズミはそれを学習する。
5回でもそれは同様だ。
では、環境を変えて、割合を変えて何回かに1回、もしくは何十回かに1回餌を出すようにするとどうなるか。
何回ペダルを押しても餌が出てこない場合は、ネズミはそれを学習してペダルを押すと言う行動自体を止めてしまうが、ペダルを押したら不定期に餌を出すようにすると、ネズミはペダルを延々と押し続ける。餌が出てくるかも知れないからだ。
つまり、特定の行動に対して報酬が出る事を学習した動物は
「報酬が得られる可能性が未知数」でも行動を起こしてしまうのだ。
そしてこれはヒトを含む動物に適用可能だと言う。
思い起こせば、ギャンブルや、投機的な株式投資などが該当するだろうか。
いや。それらの報酬はあくまで確率的なんであって未知数ではないのか・・・。
違うのかも知れないが、空腹時に中身を知っている冷蔵庫を開けて、ため息をついてまた閉める。時間を少し置いてまた開けると言う事をついやってしまう。
ネズミや他の動物に見られる行動が、本当にヒトに適用可能なのかどうかは、僕には判断が出来ない。
判断出来ないが、この理論が人間の行動の一面を説明出来ているのも事実である。
僕が冷蔵庫を開けて、中身を確認し、ため息をついてまた閉める。
そんな姿が、餌を求めてペダルを押し続けるネズミとダブるのは・・・何ともゾッとしない話である。
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