カードアドバンテージと言う概念は数あるMTGの概念の中で比較的理解しやすい。
単純な足し算や引き算、掛け算で概念が説明可能な点もあるだろうが、ゲームのどの局面においても定量化できると言う点は重要である。
僕は今までこの概念を根底においてMTGをプレイしてきたと言って良い。
だから僕は《神の怒り/Wrath of God(10E)》を打たれた回数より、打った回数の方が圧倒的に多いし《嘘か真か/Fact or Fiction(INV)》や《けちな贈り物/Gifts Ungiven(CHK)》でカードを分けて相手に提示した回数より、それを選択して受け取った回数の方が圧倒的に多い。
toshiya kさんのご指摘で、僕は自分の弱点を明確に意識した。
それと同時に思考や視点の狭窄にも考えが及ばない訳にはいかなかった。
僕の視点は常にコントロールか、準コントロールのものになっている。
そしてそれを支えているのがカードアドバンテージと言う概念だ。
確かに個人によってはビートダウンが好きな人もいるし、コントロールが好きな人もいる。
コンボやシナジーに美学を感じる人もいるし、カウンターを手札に持っていないと手が震えてしまう人もいるだろう。
人それぞれ重視する戦略や考え方はあって良い。
MTGの楽しみ方は人それぞれである。
しかし、今の僕は出来るだけ色々な人の意見を聞きたいと考えて、このエントリを書いている。
その状況にあって、偏重した視野や思考のままで良いだろうか。
人の意見や主張は光の当て方によって万別に変化する。
そうであるなら、出来るだけ多くの視点を持っていなければ正確にその意図を捉える事は叶わない。
そうであるなら、僕は出来る限り多くの視点を持っていなければならない。
新しい視点を得るにはその基盤が必要だ。
ビートダウンとは何か。
この単純な問いに答えるのは意外に難しい。
自分が倒されるより先に相手を倒す事?
それは勝利条件であってビートダウンに限らない。
生物を使って相手を倒す事?
では火力を使った場合は?
改めて考えると良く解らない。
MTGWikiによるとビートダウンの定義は以下の物になる。
ビートダウン/Beatdownとはゲーム中において、能動的にアクションをとる立場にいる側の事。対義語はコントロール。
基本的に長引くと負ける側がこちらになる。
リミテッドにおいてはカードパワーが低いデッキがこちらになることが多い。
・・・正直良く解らない。
能動的にアクションする側と言うのは非常に良く解る。攻撃的にプレイするんだなと言う感じがする。
でも「基本的に長引くと負ける側がこちらになる」とはどう言う事だろう。
「リミテッドにおいてはカードパワーが低いデッキがこちらになることが多い。」と言うのは何故だろう。
これに答えるのが以下の記事。
Who’s The Beatdown? 誰がビートダウンか。である。
http://www12.atwiki.jp/seikogumi/pages/28.html
これによるとそれぞれのデッキは、その構造に関わらず、相対的にビートダウンか、またはコントールかと言う役割を演じなければならない。
いくら攻撃的なビートダウンデッキであろうとも、相手がさらに多くのダメージ発生源を持っていた場合はコントロールにならざるを得ず、またどんなコントロールでも、相手よりドロー手段やカウンター能力に欠けるならばビートダウンにならざるを得ない。
また相手より多くの除去を持っている側がコントロールとなる。
そのどちらかを演じる必要があるかは対戦相手の能力と相対的に評価され、適切に役割を演じられない場合は敗北する。
「基本的に長引くと負ける側がこちらになる」とはアドバンテージ獲得手段の相対的な劣勢を表す。
「リミテッドにおいてはカードパワーが低いデッキがこちらになることが多い。」とは一概には言えないが、単体/全体除去を高く評価しての事だろう。
ドラフトにおいては通常17枚~18枚のマナベースで組まれる事が普通である。
これは60枚のデッキに置き換えた時、24枚以上のマナベースであり、それを考えるとドラフトのビートデッキは本来ならコントロールデッキの様なマナベースで戦っている事になる。
と言う事はドラフトにおいては誰もがマナベースに見合ったスペルを入れるべく、コントロール側を演じたいと言う事になる。
極端にマナベースを切り詰めると動きが安定しなくなるからだ。
当世的に考えるとジャンドも土地25枚以上のビートデッキだが、当然ドラフトのデッキにジャンドのようなアドバンテージ能力を期待するのは酷である。
ここから単体除去や全体除去が高い評価を受ける理由が解るだろう。
相手よりコントロールを演じるには除去手段が必要だからだ。
「リミテッドにおいてはカードパワーが低いデッキがこちらになることが多い。」と言う表現はその裏返しなのである。
しかし、ゼンディカー環境にあっては、用意されたプールとキーワード能力「上陸」の影響で従来よりもビートダウン側が有利になっている。
今までデッキ内容に不釣合いになりがちだったマナベースは「上陸」のお陰で意味のあるリソースに変貌した。使用に耐える高マナ帯のコモンも多くは無い。
それと比較すると低マナ域の充実には目を見張るものがある。
「相手よりダメージ発生源を多く持つ側がビートダウンを演じる」と言う前提に則ると低マナ域の生物は必須である。
相手よりもビートダウンを演じるために低マナ域の生物は高い評価を受ける理由がある。
この事は「ゼンディカー環境においてはスペルより生物を優先するべきである」と言う経験則に合致する。
だんだんとドラフトするべきデッキの姿が見えてくる。
後は実践と修正。
と言う訳で下記が今回のピック譜である。
・・・と思うも先客が。残念ながら実践は次回に持越しである。
Who’s The Beatdown?を和訳されたEi-m様には感謝の意を。
単純な足し算や引き算、掛け算で概念が説明可能な点もあるだろうが、ゲームのどの局面においても定量化できると言う点は重要である。
僕は今までこの概念を根底においてMTGをプレイしてきたと言って良い。
だから僕は《神の怒り/Wrath of God(10E)》を打たれた回数より、打った回数の方が圧倒的に多いし《嘘か真か/Fact or Fiction(INV)》や《けちな贈り物/Gifts Ungiven(CHK)》でカードを分けて相手に提示した回数より、それを選択して受け取った回数の方が圧倒的に多い。
toshiya kさんのご指摘で、僕は自分の弱点を明確に意識した。
それと同時に思考や視点の狭窄にも考えが及ばない訳にはいかなかった。
僕の視点は常にコントロールか、準コントロールのものになっている。
そしてそれを支えているのがカードアドバンテージと言う概念だ。
確かに個人によってはビートダウンが好きな人もいるし、コントロールが好きな人もいる。
コンボやシナジーに美学を感じる人もいるし、カウンターを手札に持っていないと手が震えてしまう人もいるだろう。
人それぞれ重視する戦略や考え方はあって良い。
MTGの楽しみ方は人それぞれである。
しかし、今の僕は出来るだけ色々な人の意見を聞きたいと考えて、このエントリを書いている。
その状況にあって、偏重した視野や思考のままで良いだろうか。
人の意見や主張は光の当て方によって万別に変化する。
そうであるなら、出来るだけ多くの視点を持っていなければ正確にその意図を捉える事は叶わない。
そうであるなら、僕は出来る限り多くの視点を持っていなければならない。
新しい視点を得るにはその基盤が必要だ。
ビートダウンとは何か。
この単純な問いに答えるのは意外に難しい。
自分が倒されるより先に相手を倒す事?
それは勝利条件であってビートダウンに限らない。
生物を使って相手を倒す事?
では火力を使った場合は?
改めて考えると良く解らない。
MTGWikiによるとビートダウンの定義は以下の物になる。
ビートダウン/Beatdownとはゲーム中において、能動的にアクションをとる立場にいる側の事。対義語はコントロール。
基本的に長引くと負ける側がこちらになる。
リミテッドにおいてはカードパワーが低いデッキがこちらになることが多い。
・・・正直良く解らない。
能動的にアクションする側と言うのは非常に良く解る。攻撃的にプレイするんだなと言う感じがする。
でも「基本的に長引くと負ける側がこちらになる」とはどう言う事だろう。
「リミテッドにおいてはカードパワーが低いデッキがこちらになることが多い。」と言うのは何故だろう。
これに答えるのが以下の記事。
Who’s The Beatdown? 誰がビートダウンか。である。
http://www12.atwiki.jp/seikogumi/pages/28.html
これによるとそれぞれのデッキは、その構造に関わらず、相対的にビートダウンか、またはコントールかと言う役割を演じなければならない。
いくら攻撃的なビートダウンデッキであろうとも、相手がさらに多くのダメージ発生源を持っていた場合はコントロールにならざるを得ず、またどんなコントロールでも、相手よりドロー手段やカウンター能力に欠けるならばビートダウンにならざるを得ない。
また相手より多くの除去を持っている側がコントロールとなる。
そのどちらかを演じる必要があるかは対戦相手の能力と相対的に評価され、適切に役割を演じられない場合は敗北する。
「基本的に長引くと負ける側がこちらになる」とはアドバンテージ獲得手段の相対的な劣勢を表す。
「リミテッドにおいてはカードパワーが低いデッキがこちらになることが多い。」とは一概には言えないが、単体/全体除去を高く評価しての事だろう。
ドラフトにおいては通常17枚~18枚のマナベースで組まれる事が普通である。
これは60枚のデッキに置き換えた時、24枚以上のマナベースであり、それを考えるとドラフトのビートデッキは本来ならコントロールデッキの様なマナベースで戦っている事になる。
と言う事はドラフトにおいては誰もがマナベースに見合ったスペルを入れるべく、コントロール側を演じたいと言う事になる。
極端にマナベースを切り詰めると動きが安定しなくなるからだ。
当世的に考えるとジャンドも土地25枚以上のビートデッキだが、当然ドラフトのデッキにジャンドのようなアドバンテージ能力を期待するのは酷である。
ここから単体除去や全体除去が高い評価を受ける理由が解るだろう。
相手よりコントロールを演じるには除去手段が必要だからだ。
「リミテッドにおいてはカードパワーが低いデッキがこちらになることが多い。」と言う表現はその裏返しなのである。
しかし、ゼンディカー環境にあっては、用意されたプールとキーワード能力「上陸」の影響で従来よりもビートダウン側が有利になっている。
今までデッキ内容に不釣合いになりがちだったマナベースは「上陸」のお陰で意味のあるリソースに変貌した。使用に耐える高マナ帯のコモンも多くは無い。
それと比較すると低マナ域の充実には目を見張るものがある。
「相手よりダメージ発生源を多く持つ側がビートダウンを演じる」と言う前提に則ると低マナ域の生物は必須である。
相手よりもビートダウンを演じるために低マナ域の生物は高い評価を受ける理由がある。
この事は「ゼンディカー環境においてはスペルより生物を優先するべきである」と言う経験則に合致する。
だんだんとドラフトするべきデッキの姿が見えてくる。
後は実践と修正。
と言う訳で下記が今回のピック譜である。
・・・と思うも先客が。残念ながら実践は次回に持越しである。
Who’s The Beatdown?を和訳されたEi-m様には感謝の意を。
コメント
mtg.takaratomy.co.jp/others/column/kamio/20060608/index.html
「リミテッドにおいてはカードパワーが低いデッキがこちらになることが多い。」
これはカードパワーというと語弊があって、「マナコストが低いデッキがビートダウンになることが多い」と読むべきだと思います。こう書くと当たり前過ぎることですけど。
極端な話ですが4マナ5/5が主力のデッキと6マナ5/5クリーチャーが主力のデッキ、どちらがカードパワーが高いデッキかというと前者ですよね。でもゲームが長引いて土地が10枚も並んだら6マナ5/5がメインのデッキも前者と互角に戦えるわけです。
テンポの概念から見て(ゲーム終盤で手札が複数枚あることは稀ですが)4マナ5/5が主力のデッキは10枚の土地から1ターンに2アクション起こせるので、前者のデッキは後者のデッキよりテンポアドバンテージを獲得でき、前者のデッキが有利だと思います。
僕自身の中でマジックは「相手のライフを20点削るゲーム」だと思っているので、テンポという考え方をとても強く意識します。
ゼンティカーは1ターン目からアクションされると「キツイなー」と思う反面、どのデッキも低マナ域からアクションしていき消耗戦になるので、最終的にはカードパワーの高いものやアドバンテージが生きてくる環境かな?と思ってます。
とはいえ低マナ域のアクションのが無く、環境のスタートラインに立てないデッキは論外ですけど。
M10は1+1=2になるようなシナジーの薄い環境で、カードアドバンテージを取られると厳しいと思う反面、なんだかんだいって1-1=0で一度テンポを取るとそのテンポが崩れづらく、テンポが重要な環境だと思ってました。
M10はそれに加えてアンコモンにダメ押しするスペルが多かったこともあります。
最近はリミテッドはあまりやれてない人間の感想ですけどね。
私もコントロール脳からのスタートだったのですが、「カードアドバンテージ」という概念はあくまで戦術であり、マジックのより大きな目標(勝利)に到達するためのあくまで一手段であります。その技を磨くことはもちろん大切ですが、他にも勝利するためにはいろいろな戦術・戦略があり、せっかくマジックというゲームを取り組んでいるのなら、他の勝ち手段にも目をむけることは、楽しさを広げることにきっとなると思うので。
今回のデッキのように、コントロール的に組むと80点のデッキが、ビートダウンで組むと、100点になったり、120点になったりするし。
もちろん、おっしゃる通り、ドラフトで、ピック、構築、プレイングと全てが変わるので、一昼夜で対応できるものではないと思いますが、いろいろ世界を広げる意味で、チャンスがあったら意識して取り組んでみてください! bunさんなら、遅かれ早かれ対応できるようになると思いますよ。
でもどこかで読んだ記事かなにかで、「負けたときに抱えていた手札、機能しなかったリソースはそれそのままディスアドバンテージであり、そのディスアドバンテージ故に負けた」と書かれているのを見たときは、目から鱗でした。以来、ビートダウンなデッキでゲームして勝ったときは、まだ十分にある相手の手札や、守勢に回らざるを得なくなり本来の活躍ができなかった相手の生物等の数を数えて、「ふぅ、今日はこんなにアド取って勝ったぜ」と考える様になりました。
この考え方が正しいのか、間違ってるのか、はたまた当たり前のことをいってるだけなのかはわかりません。でも自分にとっては、アド中心の考えからビートやテンポも考えるようになれるように、この考え方が過渡的な役割を果たしてくれました。
テンポに対する考察ですね。
一般的に捕らえられているテンポの概念は意味合いが広範過ぎるため、限定した条件を設定した上で考察されており、非常に理解しやすく書かれていました。
この記事の素晴らしい所は「テンポと言う概念を定量化するためにビートと言う概念を導入した」点にあると思います。
ですが残念だと思うところもあり、それは「ビートはある程度主観的に判断される」とした点です。
この事は「テンポと言うのは解りにくいから、それを計るために定規を用意した。ただ、この定規は伸び縮みするんだ」と言う事になってしまいます。
主観を廃し、定量化すると言うのは、議論したり考えたりする上で非常に重要で、極端な比喩をすると
「《洞窟のソクター/Cavern Thoctar(ALA)》が猛然と噛み付いてきたんだ!」(主観的な表現)
と言われても、何のこっちゃとなりますが、同じ状況を
「《洞窟のソクター/Cavern Thoctar(ALA)》に10点殴られた」(客観的な事実)
と説明すると、より正確に状況が把握できます。
和訳なので「主観的」と言う言葉がどのようなニュアンスで使われているかにもよるのですが・・・。
ですが理論とは、現象を説明し、結果を予測する為の道具です。
その意味でこの記事におけるテンポは、特にリミテッドにおける展開の重要性やコンバットトリックの効用を見事に説明している点で、良い理論だと評価できます。
>「マナコストが低いデッキがビートダウンになることが多い」と読むべき
これには気が付きませんでした。言われてみれば仰る通りですね。
リミテッドを想定した場合はより解りやすいです。相手より展開が早い方がビートの役割を演じるべきだと言う事ですね。
理解できていませんでした///
>ななしさん
なるほど。テンポをビートと言う単位で考えると、テンポとは「相手に対してより有効な脅威を用意する」事になりそうです。
そこから、ゲーム後半においては、よりカードパワーの高いものを用意しなければいけないと言う事が言えそうですね。
と言うかビートを単位にすると、余りマナコストが主眼でなくなってくる気が・・・。
ここら辺はもうちょっと考えて見ます。
少なくともビート単位で考えると、良いビートデッキ = 単純に軽いデッキとはならないので、テンポを意識した結果の錯誤は無くせそうです。
>「相手のライフを20点削るゲーム」
このように勝利手段を定義するのは、ゲームプランを立てる上でも重要ですね。
今まで漠然としか意識していませんでした・・・。
普遍的な理論は、ニュートンやガリレオがそうである様にいつまでも評価されるものだと思います。
僕のエントリに曲解や錯誤がなければ良いのですが・・・。
それにしても高校生の時に既に翻訳されていたのですね。
それを考えると、現代に生きる僕が、高校生のEi-mさんにビートについて教えてもらった様な物なので、不思議な感じがします。
>toshiya kさん
いえいえ。こちらこそいきなりエントリをあげて、みんながドン引きしたらどうしよう等と思っていましたが、予想以上に意見などを頂けて良かったです。
基本的な要素については、それなりの機会がないと改めて考えてみると言う事ができないので、考えるきっかけになりました。
この機会を有効に使って、自分の視野を広げる事ができればと思っています。
人は誰でも、良い所を褒めるよりも、足りない所を指摘する方がパワーがいる事だと思います。
ですから、今回のご指摘はなおさらありがたかったと思っています。
やはり戦術は幅が広い方が良いですから、これから習得していければと思います。
>ペンティーノさん
テンポと同じくライフもゲームの進行と共に価値が変わっていくリソースです。
《領地のベイロス/Territorial Baloth(ZEN)》をチャンプブロックしないといけない様な時ですね。
でもチャンプブロックしている間に《天空のアジサシ/Welkin Tern(ZEN)》で殴りきってしまえば良いと言う。
ライフを中心に考えると、全てのリソースの価値が変動する事が上手く説明できるような気がしますが・・・うーん。
やっぱり新しい考えに触れると広く物が見られるようになりますね。
僕もハンドのことばかりでなく、色々考えてやってみます。